M92

※この動画は、2004年8月に親父を撮影したものである。

LAGunClub LAのダウンタウンから港のほうに向かった倉庫街にある射撃場
店内にはいると大きなガラスケースで囲まれたカウンターに男女2名の店員がいる。
IDを見せメモ紙のような申込書に指名をサインし、使いたい銃の数と弾の数を伝える。「銃は使えるか?」のような事を聞かれるので、Yesと答えればそのまま、Noと答えるとカウンターの向かい側を指さされ、古びたTVに5分ほどのエンドレスで流れているレクチャービデオを観ろと言われる。
当時の値段で、銃5丁と弾100発でたしか50$ぐらいだったと思う。時間制限はとくになさそうだ。
でびは、なんどか来たことがあるが観光客は一度も見たことがないので、観光価格ではないとおもう。
ガラスケースから、好きな銃を選ぶと、スーパーの買い物かごに無造作に弾の箱と一緒にいれて渡される。当然きた得体のしれない客に、拳銃と弾をセットで手渡す・・店員にとってこれは危険だろ!と誰もが思うだであろう。店員は二人とも、セフティーベルトのないフォルスター(即抜けるタイプ)を腰につけ、もうちろん銃をさしている。目つきは鋭い。早撃ちによほど自信があるのであろう。冗談でも借りた銃を向けようものなら即射殺するつもりなのであろう。
でびは、その日 S&Wの44マグナム、ワルサーP38、357パイソン、コルトガバメント(45口径オートマ)、ベレッタM92、映画などでよく見る名銃を使うことにした。
店員が付き添うわけでもなく、かごを下げて通路を進み射撃レーンの開いているBOXに入り自分で的を吊るし、勝手に撃つ。弾や的の補充が必要なら、カウンターにとりにく。店員はカウンターから出てこないので、野放しノータッチである。
動画のはじめに奇声を上げているのは、隣のレーンにMy銃を持って撃ちまくってたアフリカ系アメリカ人。施設の周りもかなりあやしいが、店中もあやしいw

M92のマガジンに弾を装填し、セーフティーをはずし親父に差し出す。
緊張からか、親父の目が鋭くなる。
生まれて初めての射撃のくせに遠い的のほぼ中心に着弾させている。
素人が拳銃持っても当たりは、、などのセリフを聞くがこれは間違いだなw

---以下これに至るまでの経緯---

2004年6月末に親父が脳内出血で倒れる。
数日昏睡状態が続き、その後も意識は混乱し回復は難しいと脳外科医に言い渡された。
入院から一か月たつころ、当病院は急性期病院であるため、これ以上入院できないので転院先を探すように言われる。脳障害を抱える人が入院するリハビリ病院を勧められた。
でびは、これを「拒否」数日入院を引き延ばしたのち親父を退院させることにした。
介護保険の認定を申請したところ要介護5(最高ランク)の認定が下り、業者を使い自宅介護をすることに決めた。

リハビリ病院への転院を拒否した理由は、身体的に重度な障害がなかったからである。
脳のリハビリは、簡単な計算ドリルをさせたりすると聞いたが、入院患者の大半は高齢の認知障患者らしく、その環境が良い方向に進むと思えなかったからだ。

介護保険で利用できるサービスの内容は手厚くすべてのことをヘルパーがこなしてくれた。
炊事・洗濯・掃除・買い物・風呂の支度・寝床の支度などなどと、まるでリフォームしたかのように実家がきれいになった。ベテラン主婦の家事とはこれほどのクオリティなのか!
そんな快適な生活の中、親父の意識はそれ以上回復しない。毎日散歩に連れて行ってもらい杖をついて歩行できるようにはなった。

もっと刺激が必要だ・・・

でびは、ひそかに行動を開始する。
親父は一度も日本を出たことがない、しかしその年代のアメリカにとても興味があり、映画や音楽、写真などを好んでいた。本人行ったこともないのにそのウンチクを語る(おっさにんよくある)なんてこともあった。高校の同級生が、卒業後NAに渡りそのまま永住権を取得していて、親父の誕生日やクリスマスに必ず手紙を送ってるのを楽しみにしていた。その友人は、たまに日本にくると予告なしに突然家に現れる人なので、まさか来るはずがない、親父を予告なしでシアトルの家に連れて行こうと!

パスポートの申請は、本人でなくてもできるので、でびが勝手に済ませ受け取り日に親父を連れて取得するとすぐに預かった。「役所の手続きで、免許証以外の身分証明書がいるようだ」と言ってみたが、その時点の親父には必要ないウソである。

出発日前日、弟が小さなバッグに親父の身支度を済ませ、当日何もいわないまま車に乗せ、成田APへ向かう。「ここは空港か?」自分から言葉を発することをしなくなっていた親父がつぶやいた。本能的に危機感を感じたか!今後の効果が期待できそうだ。

東京-シアトルの直行便で飛び、タクシーで親父の友人宅へ乗りつける。
でびがそんな事をするはずはない。あえてLA往復の飛行機にし、ムスタングを借りシアトルまで約2500キロ走ることにした。
到着後、体力の限界まで車を走らせサンフランシスコの少し先でモーテルに泊まった朝
「ここは館山(千葉)だろ?○○(親父の妻の名)はどこだぁ?」
さすがのでびもすこし凹んだ。映画レインマンを思い出す。

この話は、長くなるのでここまでとする。珍道中いろいろなことが多すぎるからである。
上の動画は、シアトルで友人に会い数日過ごしたあと、LAに戻り帰国まで滞在したときのものである。

帰国後、親父は自分で車を運転し海や山に繰り出し、釣りを楽しみ、仕事も復帰した。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

usanより
ローカル価格だろうか、安いですね!(でも怖いなw)
私は12発で45$くらいボッタクられましたw
受付ラウンジには若いお嬢さん達。
ゲージの中に入ると、防弾チョッキを着たマッチョなアシスタントが1名付き添い。襲われたら抵抗なんて出来ない状況w
それでも浮かれ気分の観光客は、ここで36発も無駄撃ちしましたとさ。